目良浩士 めらの部屋
目良浩士(めらひろし)35歳。こどもは2人。肩書きは専務取締役。
めらリサイクルの経営者であり、工場長であり、企画戦略室長でもある。
仕事が好きで、楽しくて、気がつくと1日が終わっているという日々。
「大人が真剣に遊べば、それが仕事になる」が経営ポリシー。
この部屋では、そんな目良浩士の人物像をひもといていく。


エピソード1:めら家の日常 エピソード2:ライバルはピタゴラス
中学3年のある日、建設会社社長の父が「5億ほど投資して廃棄物処理施設つくろか」とつぶやいた。家を担保に入れて融資を受けよう、と気軽に言う。めら少年はテレビを見ながらふと問いかけた。「そんなに返せるんか?」すると父は業界の展望や事業計画について話し始め、気がつけば少年と父の経営会議が始まっている。ええやん、やろうや。と言ったところで母が来た。「鍋できたから机かたづけてー」 いわゆる普通の勉強に興味が持てず、建築科へ進学。
しかしそこでも、大昔にピタゴラスが考えた理論の実験ばかり。ピタゴラスの定理がどれだけ素晴らしかろうとも、それは自分が考えたものじゃない。「自分がやった!」という感覚を持てないものには本気になれない。失敗しても構わない。むしろ、失敗してなんぼ。とにかく新しいことにチャレンジしたい、という気概はこの頃育ったのかもしれない。
エピソード3:小3でパワーショベル エピソード4:9歳、15歳のビジネス
とにかく「機械いじり」が好きで好きでたまらない。
建設会社に生まれた彼の周りには、重機やトラックなど、普通の家庭にはないものがすぐ近くにある。家はまるで、遊園地だった。小学校3年でユンボ=パワーショベルの運転を覚えてからは、自分より遥かに大きな機械を運転することが楽しすぎて、気づくと夜の10時を回っていた。近所迷惑にならないよう「ユンボの運転は8時まで」という規則があったのは、日本でめら家だけかもしれない。
父の会社には鉄くずが散乱していたが、聞けばその鉄くずは廃棄するだけだと言う。パワーショベルだけでなく、トラックも、フォークリフトの運転も次々と習得していためら少年は、夜な夜な弟と鉄くずをドラム缶につめてはフォークリフトでトラックに積み込み、回収業者へと売り込みにいった。(※敷地外は大人が運転)当時の鉄の相場価格はドラム缶1つで3〜4万。9歳が手にする報酬としては超高額だ。両親は「子どもにそんなことさせないでください」と学校の教師から注意されていたようだが、「自分で考えて、自分でとった行動だから」と認めてくれた。15歳まで続けたこのビジネスは、めらリサイクルの原点でもある。
エピソード5:売上目標を作らない  
めらリサイクルには、売上目標が存在しない。「売上目標を掲げると社員もお金を見てしまう」。ビジネスも商売も好きだが、やりたいのはあくまでもお金儲けではなく、面白い仕事であり、新しい挑戦。それによってお客さんが驚いて、喜んでくれて、にこにこしながらお金を払ってくれる。売上はあくまで結果であって、目標ではない。目の前に飛び込んでくる案件に対して最大限の努力をする。「自分で考えたものが、役に立ったらええなぁ」この言葉が、めらリサイクルのすべてかもしれない。